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お弁当を持参するのがオススメ♪

もちろん、手作りお弁当でも、コンビニのおにぎりでも、ちょっと贅沢にデパ地下のお弁当でもなんでもOK。

午前11頃に北鎌倉駅に着くと、ちょうどお昼にもかかるのでベスト!

北鎌倉駅へは
JR横須賀線・東京駅から約50分で行ます。

まずは、駅からすぐそばの円覚寺に行ってみましょう。

円覚寺は北鎌倉駅から、徒歩1分です。近いですね~。

つづく・・・
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「やじさんよぉ」「よぉっ、きたさん!」
なんて掛け声かけていたかは、わかりませんが

江戸時代、街道筋をたくさんの人が行き交っていたようだ。

馬で行く人、籠に乗る人、歩く人。

テクテクと道中参りましょう~。

お馬や人が通ります。そんな幅なら2メートルもあれば足りましょう。

それより古い時代なら、1メートルで充分でしょうねー。。。

ところが!


奈良時代の道路は
幅12メートルもあったらしい!


幅12メートルというと

真ん中で分けて、6メートル、6メートルで
今の道路にすると。。。

片側2車線ずつぐらいで、両側で。。。
4車線!
ってえーっ!

東海道、東山道などなど

奈良時代初めの道路はとても広かった!

【参考文献】
「日本の古代道路を探す-律令国家のアウトバーン-」
中村太一 平凡社






縄文時代って、狩猟採集とかして暮らしてて、縄文土器を使っていて、とかとか教科書で教わったりしました。

発掘とかで遺跡が出て、いろんなことがわかってきている。


でも、でも、でも、出てきた物って、当時の物の極わずかです。

偶然腐らずに残った物が遺跡から出ているわけでして
腐ったりして残らない物の方が実は多い。

偶然に残った植物約60種類を確認したとすると
その中にキノコ、ゼンマイ、ワラビ、カタクリなど当然食べたものが無かったりします。

そういうのを見積もると300種以上は食べていたらしい!

そして動物はシカ、イノシシはもとより、ウサギ、オコジョ、ムササビ、キツネ、テン等の敏捷で、捕まえにくい動物も食べていて60種類以上。

魚は、近海とれるもの以外に沖で獲れるカツオ、マグロ、トド、オットセイ、クジラまで70種類以上。

貝は、おはじきのような小さい貝まで、200種類以上。
こんな小さい貝を食べてお腹いっぱいになるのは大変~。効率は悪いです。
ナマコは残っていないけど、たぶん食べていた。
海藻も残っていないけど、たぶん食べていた。

とにかく、美味しいとか美味しくないとか、たくさん食べられるとか、関係なく

基準は、なんと!
食べられるか、食べられないか、だけ!


ざっと見ても700種類以上

すごーくたくさんの種類を

食べていたらしい!


それに
同じ海でも、荒い磯か、砂浜か、泥海かで貝も海藻の種類も変わる。
魚も内湾か、外湾かで変わる。
それに海のものだって、山のものだって、季節によっても取れるものは違う。

いつ、どこで、どうやったら、食べられるか、それを食べ尽くさないとか

すごく詳しい知識をもっていた。


何ででしょうか?

天候の変化に備える!

知識があれば、天候が変化した時にも
何なら食べられるとか知っていれば、安心。

だから

縄文時代には飢饉が無かった~。

さらーに

驚くような生態学的知識!

とにかく、観察して、いろんな種類を食べることで、食べられる物について学なんでいたんです~!
今の食生活が豊かですって~。縄文人には敵いません。

【参考文献】

「日本縄文文化の源流」学生社
小林達雄他









16世紀の後半、日本に滞在したポルトガル人のイエズス会司祭ルイス・フロイスが、こう言っているそうだ。

「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」
「ヨーロッパでは、罪悪については別としても、妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって名誉も失わないし、また結婚もできる」
「日本では娘たちは両親にことわりもしないで、一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」
「日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている」

あれ?昔の女性って、そうなの???
なんか、今の日本より、自由奔放じゃないの~。

フロイスは、ヨーロッパの女性と日本の女性があまりに違うので、書いたようだ。
だから、偏見かというとそうでもなく、かえって率直な感想。

さらに
「日本では比丘尼の僧院は淫売婦の街になっている」

比丘尼とは鎌倉~室町時代に尼の姿をして、諸国を遊行した半僧半俗の女性のこと。

尼さんがー!

ええー!
と驚きますが、当時、驚いていたのは外国人でして。。。

実は古来、「聖なるもの」天皇、神仏などとつながりを持つ女性は、地位は低くなかったのです。
たとえば、遊女(あそびめ)も地位は低くなかった。

「旅する女性」は神仏など「聖なるもの」とのつながりよって支えられていたので、一般の女性でも、旅姿の女性にたやすく手をかけたりすることは、はばかられたようです。

とくに南北朝(14世紀ごろ)まで
自由に旅する女性は多かった~。

【参考文献】
「中世の非人と遊女」講談社
 網野善彦



教科書なんかにあるオランダ船リーフデ号漂着。

慶長5年3月16日(1600年4月29日)九州豊後(現在の大分県臼杵市)にオランダ船リーフデ号が漂着。

リーフデ号の航海士ウィリアム・アダムズ(三浦安針)は西洋の科学知識と人柄を徳川家康に見込まれて、側近として召し抱えられ幕府の外交顧問として活躍しました。
その船に一緒に乗っていたのが

ヤン・ヨーステン
彼も、三浦安針と一緒に、外交、貿易顧問として活躍。
ドイツ人・ヤン・ヨーステンは今の八重洲に屋敷を与えられました。

んっ!ヤン・ヨーステンはオランダ人じゃん!

と思う方もおられるでしょうが
当時の国際法では、ドイツ帝国の領民ということになるらしい。

その八重洲の地名は、なんと、ヤン・ヨーステンが由来です。

ヤン・ヨーステン→ヤヨス→八重洲(やえす)

って、へぇー!


【参考文献】

「江戸・東京の中のドイツ」
ヨーゼフ クライナー  講談社